一線を越えたのは君ですよ。

相も変わらず鼻息の粗い片隅氏ではあるが、顕正次郎氏との対話の中で以下のような発言があった。

顕正次郎氏との対話の中で片隅氏は「てめぇは一線超えた。」と宣いましたが、「一線を越えてしまった」のは顕正次郎氏ではなく、片隅氏のほうなんですよね…。片隅氏の周囲には寺院の垣根を超えた親しいご友人の法華講員諸氏がいらっしゃるようですから、速攻で彼に忠告をして発言を撤回せしめるとか何かしら善後策を打って差し上げるべきだとは思うのですが、未だに誰もそれをしてあげてない…。

君たちはこの信仰を舐めているのですか?

片隅氏はいずれ厳しい御裁断を受けることと確信しておりますが、それを見逃した貴方がた周囲の法華講員も厳しい処置を受けることとなるでしょう。今からでも遅くはありませんから、その姿勢を正すことをお勧めいたします。

御先師日顯上人に喧嘩を売った片隅氏

片隅氏が百六箇抄をもって「富士山本門寺本堂」は戒壇建立の場所。」ならびに「御遺命は本門寺本堂に御安置をする事。」という自説の根拠としてきたことは先のブログ記事にて書かせて頂きました。

前回の記事を今朝がたにアップしたら早速K氏から「脊髄反射」の反論tweetが上がりました。 百六箇抄...

それに対して私は何一つ自分の意見を差し挟まずに、日顯上人の百六箇種脱對見拝述記の御指南を貼り付けて彼への返答となしたわけでございます。しかしながら、あろうことか彼はそれに対して反論してきました。

まぁ、この程度なら可愛いものです。三大秘法義には日顯上人のそのものズバリのお言葉が存在しますから、それを教えて差し上げればそれで終わりになります。けれども問題はここからなのです。

彼は百六箇種脱對見拝述記が血脈相伝の御境界から甚深の御法義を日顯上人が御指南遊ばされた書であることを知らないのであろうか?ゆえに私などは恐れ多いので自身の解釈など露ほども挟まずに御指南そのままをアップしたに過ぎません。それを何を勘違いされているのか、それこそクソミソに罵倒されてしまっております…。更には御自身の言葉に勝手にヒートアップしてこんなことまで言い出すに至りました。

法華講員という立場にいながら、宗外から日顯上人の御指南を批判すると宣言してしまいました。ここまで行ってしまうと御僧侶方が出てきて彼の暴走を止めるしかもう術は残されていないのではないでしょうか?

また彼は以下のようなことも述べております。

いつのまにやら御宗門や御法主上人よりも偉くなってしまっている…。もう彼につける薬は無いのかもしれません…。これをご覧になっている御僧侶方も少なからずいらっしゃると思います。このような動きを放置すれば、いずれ宗内への影響は甚大なものになると私は懸念しております。この事実を真正面から受け止めて対応して下さる御僧侶方の出現を切に願っております。日蓮正宗の将来を憂うる一信徒としての拙い想いでございます。

片隅氏への返信

片隅氏からの愚にもつかない質問など放っておいても良いのですが、放置していればやがてこのような邪な主張が公論になってしまう恐れもあるがゆえ、一応返信しておこうと思います。彼からの質問は以下になります。

片隅氏は「三箇ノ秘法建立」というところを敢えて「建立」の一句を除いて「安置の堂宇が三箇の秘法で間違いないか?」と論点をずらしてきました。以下の日顯上人の御指南を見ても分かるように「「三箇の秘法」とは、大聖人一期御化導において明らかな、本尊・戒壇・題目であることは言うまでもない。」のです。この後の「建立」の一句が御遺命の戒壇を指すことは明らかでしょう。

次に、その註の文は、さらに明確に事の戒壇について示されている。すなわち、

「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」(同㌻)

の文である。

「三箇の秘法」とは、大聖人一期御化導において明らかな、本尊・戒壇・題目であることは言うまでもない。次の「建立」という意は、三大秘法総在の本尊である本門戒壇の大御本尊安置の堂宇を、広布の事相が顕現する時、改めて建立することである。

三大秘法義561頁

それを前提にして先日の百六箇種脱對見拝述記の御指南を拝せば全てが辻褄を合わせてきます。

然ルニ今ハ「三箇ノ秘法建立」トノタマウトコロニ、特別ノ深意アリ。即チ三大秘法総在ノ本尊タル本門戒壇ノ本尊安置ノ堂宇ヲ、国主ノ意ニ基ヅキ、改メテ建立シ給ウヲ「三箇ノ秘法建立」ト仰セラルルナリ。

百六箇種脱對見拝述記323頁

次に2点目、「堂宇に堂宇を重ねることになるが」とのことだが、上記の日顯上人の三大秘法義では以下のように御指南です。すなわち、「改めて建立すること」というのが正しい認識であり、堂宇に堂宇を重ねるなどという心配は必要ありません。

次に、その註の文は、さらに明確に事の戒壇について示されている。すなわち、

「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」(同㌻)

の文である。

「三箇の秘法」とは、大聖人一期御化導において明らかな、本尊・戒壇・題目であることは言うまでもない。次の「建立」という意は、三大秘法総在の本尊である本門戒壇の大御本尊安置の堂宇を、広布の事相が顕現する時、改めて建立することである。

三大秘法義561頁

最後に3点目の日達上人の御指南との整合性が取れないとのことですが、これに関しては以前のブログ記事にて書いております。読みたくもないでしょうが、是非とも読まれたうえで反論をしてください。

Twitterにおける片隅氏との討論であるが、彼の主張の根拠とは日達上人の昭和49年6月18日の御指南である「戒壇についての補足」...

ダメだこりゃ……

この記事を書いている最中にまた片隅氏からリプが入ったようです。

法華講員としての自覚から先ずは学ばないといけないようですね…。ダメだこりゃ…。

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