顕正会員さんに伝えたい三つのこと

浅井昭衞氏の突然の逝去により深い悲しみに包まれた顕正会の皆様も、日を経るにつれてその想いはより深く感じているのではないかと思います。

察するに、これまで浅井昭衞氏の指さすままに一切の私心を捨てて人生のすべてを顕正会の活動に捧げていた皆様にとっては、そのポッカリと空いてしまった隙間をどう埋めるか分からなくて悶々とされているのではないでしょうか。

そんな皆様方に元顕正会員だった私達から三つのことをお伝えします。これからの人生において重要な信仰の大事を決める助けになればと願います。

御遺命は破壊されていません

顕正会では「御宗門は学会に誑かされて正本堂を御遺命の戒壇と偽った。これは御遺命の破壊であり、顕正会が正しいのはこの御遺命を護り続けている唯一の団体だからである。」と教え込んでいますが、それは事実とちがいます。

日蓮正宗では一期弘法付嘱書・三大秘法抄に御遺命された「戒壇建立の御遺命」は、今現在に至るまで護られ続けております。

例えば総本山大石寺に行きますと三門の横には大石寺縁起の看板があり、そこには

「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」との御遺命により(中略)大石寺を建立して大御本尊を安置し奉り多くの御弟子方を養成されて、ここに万代にわたる仏法流布の基礎を築かれたのである爾来七百三十余年当山は宗祖大聖人の仏法を連綿と伝え今日に至っている

大石寺縁起

と明記され「戒壇建立の御遺命」が宣揚されております。

また、そこから境内に入って客殿前に行きますと勅使門(開かずの門)があります。これは広宣流布が為されて御遺命の戒壇建立時に勅使の方が通られる門であり、その時が来るまでは扉は閉められております。

現在の勅使門の姿です。

ご覧の通り未だその時は来ていないがために扉は閉められたままですね。正本堂が御遺命の戒壇であったならば、既にこの扉は開かれているはずですし、そもそも御役御免となった勅使門は撤去されていてもおかしくないのです。顕正会の皆さまはそこに矛盾を感じませんか?

更に歩みを進めると奉安堂横には宝物殿がありますが、その拝観経路の最後には「一期弘法付嘱書」ならびに「三大秘法抄」の戒壇建立の御遺命の文が掲げられております。

実際に大石寺に足を運ばれて御自身の目で確かめられれば、現在の日蓮正宗には「戒壇建立の御遺命」が脈々と生き続けていることが誰しも理解できるかと思います。

「いや、それでも過去には御遺命が破壊されたんだ!」と頑なに主張される方には、その全てに対して原本を提示の上で過去にも御遺命は破壊されていなかった事実をお話しさせて頂きますので私たちにお申し出ください。

浅井昭衛さんは除名処分者です

顕正会にも除名処分はありますから皆様もその意とするところはご理解されているでしょう。当然のことながら日蓮正宗にも除名処分はあります。日蓮正宗における除名処分は、「信徒資格を喪失し、戒壇の大御本尊様から流れ通う功徳法水の流れを断ち切られること。すなわち今生に於て成仏することは不可能となる。」ということを意味します。大聖人の仏法を信仰する者に於て一番恐れなくてはならない事態です。

顕正会では「死罪に等しい解散処分」を受けたと指導されますが、実はその直後に死罪そのものの「除名処分」を浅井昭衛さんは受けているのです。

この事実が会員さん達に広まると組織そのものが立ち行かなくなるがゆえ、これまで半世紀にわたって隠され続けてきました。ごくごく一部の書籍には記述が見てとれますが、現在の現役顕正会員さんの殆どは知らなかったと思います。しかしながらこれが現実なのです。そしてこの隠ぺいは今でも続いております。「浅井昭衞先生追悼号」(顕正新聞 令和5年10月25日号)の第1面をご覧ください。サクッとこの事実を無いことにしておりますよね。

総本山第二十二世日俊上人は『法華取要抄註記』の中に、「師は針の如く檀那と弟子は糸の如し、師堕獄治定せば弟子檀那また堕獄也。」(歴代法主全書 第三巻 192㌻)と仰せになっております。

顕正会の皆さん、あなた方は地獄に行きたくて信心しているのですか?違いますでしょう?今一度この事実を真正面から受け止めて今後の身の振り方を心静めて考えてください。

浅井さんは亡くなったけど、どうするの?

浅井昭衛さんは良くも悪くもカリスマ的な力を持つリーダーでありました。ゆえに彼の後ろについていけば間違い無いという想いを顕正会員さんの誰しもが抱いておりました。

しかしながら、それだけの強いリーダーシップを発揮されていた浅井さんだからこそ、彼がいなくなった顕正会は羅針盤を失った漂流船になることが元顕正会員の我々には痛いほど分かっておりました。

だから彼の生前から縁ある顕正会員さんには「浅井さんが死んだらどうするの?」との問いかけをしてまいりました。

それでも浅井さんが健在の頃は「浅井先生が元気なうちに広宣流布するから心配ご無用。」との答えしか返ってきませんでした。

その心配が現実となってしまった今、はたして皆様はどうされるのでしょうか…。

前項で引用した日俊上人の御指南には続きがあります。

成仏また同じ」(歴代法主全書 第三巻 192㌻)

成仏のための根源の師は、もちろん末法の御本仏日蓮大聖人ですが、現実生活の上で、信心を正しく行じていくための仏法の師は、大聖人・日興上人以来の血脈を継承あそばされる御法主上人猊下以外にはおられません。

 御法主上人猊下は、成仏の道を踏み外さないようにと、常に私たちに信心修行の方途をお示しくださっているのです。それはまさしく運針の道筋であり、私たち弟子・信徒は「糸の如し」と言われるごとく、御法主上人猊下の御指南のまま、「地涌倍増」と「大結集」の御命題達成に向けて全力を傾注していくことが肝要です。

大白法・平成18年7月16日 梶原慈文御尊師

本気で自身の成仏を考えるならば、半世紀前に除名された浅井昭衞氏についていくのではなく、血脈所持の御法主上人についていくこと。ここから貴方の幸せな人生が始まるのです。

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