御遺命の大事

顕正会員さんは御宗門が戒壇建立の御遺命を捨てたと刷り込まれておりますが、それは事実と違います。

法体に約しての立て分けのみを残し、事相に約しての立て分け…、すなわち一期弘法付嘱書・三大秘法抄に遺されたところの戒壇建立の御遺命が既に宗内からは滅してしまったと顕正会の皆さんは捉えらえておるのでしょうが、そうではありません。

平成5年の少し古い御指南ではありますが、日顯上人は戒壇建立の御遺命がいかに大事なものであるかをお話しくださっております。本日はその御指南を拝してみたいと思います。

平成5年霊宝虫払大法会(抜粋)

さて、次はいよいよ本日拝読の最後の御文であります。

 「抑も当世の人々何れの宗々にか本門の本尊・戒壇等を弘通せる。仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず。日本人王三十代欽明天皇の御宇に仏法渡って今に七百余年。前代未聞の大法此の国に流布して、月氏漢土一閻浮提の内の一切衆生、仏に成るべき事こそ有り難けれ有り難けれ」の御文は、まず大聖人様が、一往は弟子の三位房に対し、再往は一切衆生に対し、前代未聞の法華経の行者たる大慈悲、大確信の上から、本門の本尊、戒壇等の三大秘法を弘通する者こそ、仏滅後、三国に数千万の法師あるなかで、ただ日蓮一人であることを宣言あそばされた文であります。

 釈尊が法華経を説かれたのは、久遠の本仏の垂迹としての立場からであり、故に開三顕一・開迹顕本を示されたのであります。宗祖大聖人が法華経を行じ給うたのは、本仏そのもののお立場からであり、故に久遠元初の法体そのものを直ちに顕されました。故にこそ、その当体たる本尊を弘通されたのであります。

 また、この一大秘法の本尊は、そのまま身延入山以来、『法華取要抄』以下にその弘通を宣言あそばされた、本門の本尊・戒壇・題目の三大秘法であります。

 この意味は、一大秘法を開けば三大秘法に、三大秘法を合すれば一大秘法の本尊となるのであり、これは諸御書の文意とこれを総合する相伝の深意において明らかであります。

特に、

  「戒定慧の三学は、寿量品の事の三大秘法是なり。日蓮慥かに霊山に於て面授口決せしなり。本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」
                      (新定三―二八一二ページ・全集七六〇ページ)

の『御義口伝』の文は、宗祖大聖人の御当体即本門の本尊であり、その本尊の所行は本門の題目、所住は本門の戒壇であって、そのまま久遠元初の法体、面授口決の大法であります。その魂を墨に染め流された妙法本尊においても、一大秘法即三大秘法の義が存することは当然であります。

 この内証の御究竟は、宗祖大聖人身延入山以来、次第に妙法大曼荼羅御本尊の当相にお示しあそばされ、弘安元年以降は釈尊仏法の「法勝人劣」に対する、久遠元初人法一箇の意を拝しますが、さらに、宗祖の本仏たる究竟の大慈悲は、すなわち、法界一切を成仏せしむるにあり、弘安二年三月、日目上人授与の本尊以降に悪逆・提婆達多の顕示加入をもって、事の十界互具の戒体即身成仏を示し給うところに、順逆の一切を妙法の大善に包容し、同化し成仏せしめる、本門大戒の究竟が拝せられます。

 ここに、三大秘法が戒法・戒体の意義によって最後的に整足せられ、まことの一切衆生即身成仏の大法を確立あそばされたことが拝されるのであります。

 かくて、そののち、熱原法難の惹起によって本懐顕発の外縁具わり、内外の大因縁充足して弘安二年十月十二日に、出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊を顕示し給うたのであります。

 思うに、この文永十二年三月の『教行証御書』で、ただいままで(ママ)拝読の如く本門の大戒について述べられ、かつ、戒壇の弘通を仰せられたのは、一期御化導の上に重要な意義があります

 これは、大聖人様が宗旨建立よりの御一生を通じ、本門戒の本義を元として、さらに、未来に向かっての三大秘法の整足、末法万年の衆生救済のため、本門戒壇の法体を確立するぞとの宣言にほかなりません。そこに、この文の深意を拝すべきであります。このところから、仏法が未来に向かって展開される大目標を、弘安五年四月の『三大秘法抄』に初めて、本門事の戒壇の文義をもってお示しになりました。

 けだし、大聖人の御一期の御化導におけるや、本門の題目は、宗旨建立より弘通せられ、その実体たる本門の本尊は、竜の口の発迹顕本以後より弘安元年、弘安二年に至って顕示・究竟せられ、本門戒壇は、弘安二年の本門戒壇の本尊を根本法体とされて、その一切衆生救済の大目標を、事の戒壇の指南をもって弘安五年の『三大秘法抄』に示されるとともに、その一切の本義を日興上人へ付嘱あそばされたのであります。

 故に、本門戒壇に義と事を分かつとき、法体に約すれば本門戒壇の本尊まします処、直ちに事の戒壇であります。しかるに、他の大聖人御顕示の御本尊や血脈付法代々の書写の本尊は、その所住の処、義が事の戒壇に当たる故に義の戒壇であります。

 また、事の戒壇を大聖人の大慈悲の実際的、具体的顕現たる広布の事相に約すれば、御一期において『三大秘法抄』のほかには全く秘して説かれなかったところの、「王仏冥合」の御文であります。ここに、王仏冥合の条件の上に本門戒壇の建立を示されたのが、まさしく御仏意であり、他の者が容易に容喙してはならぬ一大事であります。

 本門の本尊、妙法蓮華経の広宣流布が時至って、正道・正理の上に条件的に具備した時、戒壇を建立するところに、本仏の志し給う「事の戒法」が成就するのであります。すなわち、この一切は御仏意であり、これはさらに、のちの『一期弘法抄』に本門戒壇の建立につき、二祖日興上人に遺命されるところであります。

 したがって、この戒壇建立は、大聖人の御仏意による終窮究竟の厳然たる御指南であり、いやしくも凡夫や一信徒が知ったかぶりをして、軽々に口を入れ、論ずべき法門ではありません。もし、そういうことがあれば、これは本仏のお心を踏みにじる、大謗法であります。

 しかるに、池田大作なる顛誑の大謗法者は、

 「戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます」

として、精神と形式を分け、御本仏の精神、いわゆる御仏意を蔑ろにし、民衆の幸福という空漠たる迷いの機根中心の観念を正として、これに大聖人のお心による戒壇建立を従属化したのであります。これまさに、仏法破壊の天魔の所行であり、大悪言であります。

 このような誤りによって正本堂を意義づけようとしたところに、池田の指導する創価学会の基本的な狂いがありました。それが、今日の「広布第二章」という大作の指導に見られる、本末顛倒の、内外一致とも言える誑かしの姿となっております。故に、世間的な名誉のみに囚われて、各国の勲章をあさったり、また、その名声や賞を常にねらうなど、この大作の所行については、かの「勧持品二十行の偈」の法敵三類中、僣聖増上慢についての予言、「利養に貧著す」云々、また云く、「是の人悪心を懐き 常に世俗の事を念う」と説かれる言こそ、まさにピタリと的を射ております。

 また、この根本の戒に背いている以上、池田やその指導を受ける者達が、それ以下の善悪に無知となり、したがって道徳的不感症となるのは当然であり、あらゆる悪徳・悪義を平然と実行するに至るのであります。

 先師日達上人も、創価学会の当時の大勢力による我見にはたいへん御苦労あそばされ、時には大慈悲の包容的化導の上から彼等の思想言辞に従容の態度を取られるところもありましたが、昭和四十五年の虫払大法会の砌は、大聖人の御金言の如く未来において『三大秘法抄』の戒壇が建立されることを信じ奉る旨を厳として示され、また、創価学会第三十七回の総会において、『三大秘法抄』の戒壇の文を今日の立場から達意的に拝され、日本人口の三分の一の純真・確実な信徒の実現をもって、その条件とすべき見解を指南されました。

 この御指南のとおり、本仏の御仏意は、凡夫や信者の野望によって簡単に解釈し、処理すべきものでなく、その時々において、あくまでも『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇の御指南を原点として常にそこに帰り、拝仰しつつ本門大戒壇の建立に向かって進むことが肝要であり、その弘法精進において必ずや、僧俗一同に即身成仏の大功徳が顕現していくのであります。

(大日蓮平成5年5月号 42~47㌻)

※全文を拝読したい方はこちらのページに全文をアップしてあります。

法体に約しての「事」と事相に約しての「事」を分けて御指南

このように日顯上人は法体に約しての「事」と事相に約しての「事」を分けて論じられたうえで、事相に約しての事の戒壇すなわち御遺命の戒壇の法門は御仏意であるがゆえに、御法主上人以外の者が軽々しく口を挟んで御遺命の大事を軽しめることは大謗法だと断じておられるわけです。

その端的な例として当時の学会の主張をあげられました。

顕正会の皆さんどうでしょうか。

顕正会で主張される戒壇建立の御遺命は今も厳然と宗内に生き続けていることはご理解いただけましたでしょうか。

御遺命が破壊されていないなら顕正会が宗外にいて活動する意義というのはどこにあるのでしょうか?

次回はそれに関してお話ししてみたいと思います。

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コメント

  1. ありの金吾 より:

    新年明けましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願いいたします。

    ついに浅井昭衛氏が亡くなりましたね。
    まさか池田大作氏より先に亡くなるとは思ってもみませんでした。

    自分のブログでも書いたのですが、池田氏が先に亡くなって、その後2〜3年でも昭衛氏が健在だったら状況はかなり違ったでしょう。

    池田氏がいなくなった創価学会に対して折伏攻勢を仕掛けて、多くの学会員を顕正会に取り込むことができれば、顕正会の組織を拡大させることもできたのかもしれません。

    昭衛氏が急に亡くなったことで、顕正会員や顕正会の組織が受けたショックやダメージはかなり大きかったと思います。

    このまま、顕正会は崩壊するのでしょうか…。

    ・池田大作氏の死去と顕正会
    https://plaza.rakuten.co.jp/arinokingo/diary/202312300000/

    • トチロ~ より:

      ありの金吾さんへ

      明けましておめでとうございます。

      昨年はそちらにお伺いすると言っていたにも関わらず約束が果たせませんで申し訳ありませんでした。

      昭衞さんの死去によって顕正会は崩壊すると誰しもが考えてはいましたが、意外としぶといなと現在は感じております。

      しかしながら教学的にも道理的にも顕正会に追い風となる根拠は皆無であるいじょう、時間と共に顕正会が衰退していくのは必然かと思います。

      何とか純粋な顕正会員さんを一人でも多く救ってあげたいものですね。

      今後ともよろしくお願い致します。

  2. ありの金吾 より:

    お返事ありがとうございました。

    > 昨年はそちらにお伺いすると言っていたにも関わらず約束が果たせませんで申し訳ありませんでした。

    いえいえ、お気になさらず。
    トチロ〜さんはお忙しいようなので、また機会がありましたら…。

    昭衛氏の死去については、功徳を回向するため今まで以上に頑張ろうとする顕正会員もいるみたいです。

    しかし、日顕上人の御臨終の相を誹謗して昭衛氏が急逝した事実は重いです。

    ・会長の急逝は宗門誹謗路線の結果
    https://plaza.rakuten.co.jp/arinokingo/diary/202311180000/