卑怯者は顕正会教学部である

先日の顕正新聞(令和5年3月5日号)に〇野君の登壇が載っている…。

この中で昭和49年に日達上人が正本堂を御遺命の戒壇と発言した文証があると言っているのだが、これは大いなる誤りである。

故意か過失かは分からぬが、あまりにも幼稚な論法と言っても良いだろう。

日達上人のお言葉

この日達上人のお言葉は「法華講連合会第十一回大会」のものであるが、その該当部分は以下のようなものである。(日達上人全集)

「本門事の戒壇と称して」とある。〇野君の原稿は「本門寺の戒壇と称して」である…。

たしかに〇野君の「寺」であれば、日達上人は正本堂を御遺命の戒壇としているわけだが、この日達上人全集の記載は「事」なのである。これは本門根源事の戒壇の意で日達上人は仰せになっていることは明らかであり、これを敢えて「寺」と表記して誤解せしめるような論法を使うとは甚だ卑怯であろう。

「私は卑怯者です。ごめんなちゃい…。」と言わなくてはいけないのは常泉寺の御僧侶では無く、この〇野君の方なのである。

ただ…

この文章は上記日達上人全集だけではなく、大日蓮昭和49年11月号と蓮華昭和49年49年9月号にも載っているものであるがゆえ、もしかするとどちらかには「寺」との表記がある可能性も否定できない。これに関しては現在調べているので、後日改めてご報告させていただく。

かりにどちらかに「寺」との表記があるならば、そこまで徹底的に顕正会を批判することは出来ない。しかしながら、不十分な調査しかしないでここまで大口を叩く顕正会教学部の底の浅さを顕正会員さんは今一度自覚する必要性はあるかと思うぞ…。

ってなわけで本日はここまで。

心のこり 細川たかし

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コメント

  1. えぬ より:

    こんにちは。
    同年の「戒壇論」には本門寺と記載されているのですが、もちろん誤植です。
    その他は全て本門事だと思います。

    昭和49年9月蓮華・同年11月大日蓮・昭和55年日達上人全集は「本門事の戒壇」
    昭和49年12月戒壇論「本門寺の戒壇」
    でした。

    顕正会幹部だという方に「本門寺の戒壇」って証拠があったら脱講するんですねって言われたんで、上記文のコピーを全部見せたら、手にとってよく見て「ホントですね」って言って引っ込めました。本当に知らなかったのかもしれないです。