浅井昭衞氏が去る10月16日に逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
故人の通夜は本日19時より行われるそうですが、私はかねてより一つの懸念がありました。
浅井昭衛さんは生前「戒名不要論」を展開しておりましたがゆえ、ご本人の葬儀では果たして戒名を付けられるのか否か…。
父親の甚兵衛さんには立派な戒名を付けて葬儀が執り行われましたが、その後場当たり的な指導をして顕正会は戒名を付けなくなりました。その言い出しっぺである昭衞さんに戒名はつけられるのか…?
新会長の城衞さんや御遺族の気持ちとしては立派な戒名と共に送り出したいという気持ちで一杯でしょうが、これまで20年の間に顕正会員として鬼籍に入られた方々は「清信士○○」「清信女○○」といったお名前で葬儀をされたはずです。それらの方々を差し置いて一人だけ立派な戒名で旅立つことが許されるのか…。
個人的な感情を優先されて立派な戒名を付けてしまったら、それこそ顕正会の崩壊は一気に加速度を増すことでしょう。
逆に個人が生前力説していた「戒名不要論」を踏襲して「清信士 浅井昭衞」として葬儀を行ったとしたら、これは立派なもんだと思います。けれどもそこまで彼らに出来るか…。今はただ結果を黙ってみていたいと思います。
というわけで、今回は浅井昭衞氏の生前の戒名に触れた指導を再度確認してみたく思います。
なお、通夜・告別式に参加された方からは実際にはどうだったのかの情報を教えて頂けると幸いに存じます。
浅井昭衞氏の戒名不要論
浅井昭衞氏が戒名不要と指導したのは私の確認したところ三回ほど存在します。一つずつ見ていきましょう。
顕正新聞紙上座談会
先ずは平成8年に行われた顕正新聞紙上座談会です。これは「冨士」に掲載されました。
(冨士 平成8年8・9月号 35~36㌻)
典礼院落成式
次に平成15年に行われた典礼院の落成式における講演
(顕正新聞平成15年5月25日号)
平成16年2月度総幹部会
最後は平成16年2月度総幹部会における講演。ここで新たに「清信士」「清信女」と頭に付けることを指導されました。
(顕正新聞 平成16年3月5日号)
と、このように浅井昭衞氏は三度にわたって戒名は不要だと会員に指導して徹底してきました。ゆえに其々の会員さんは「浅井先生がそういうならそうなんだろう。」と無理矢理納得して、周囲の親族からいくら反対されようとも俗名プラスαのヘンテコな戒名もどきで葬儀を執り行い、そしてその後も追善回向してきたのです。
もしこれが本日の浅井昭衞氏の通夜にて言い出しっぺの昭衞氏が立派な戒名だったとしたら…。
会員さんの怒りは収まらんでしょうね…。そして新会長は昭衞氏の過去の発言と整合性を持つようにこの件を会員さんに説明する義務が発生します。城衞さんにそんな難しい作業は出来るのかな…。不安しかない…。
とりあえずは30分後の通夜の現場を待ちましょう。
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