先日問題提起した昭和49年の日達上人のお言葉を当時の大日蓮および蓮華を確認して、浅〇君の言う「本門寺の戒壇」との記述が存在するのか調べてみました。
結果、そのようなお言葉はどちらにもありませんでした。しかしながら、Twitterにて相互フォローしている「立正安国さん」から御指摘を受け、もう一か所この時のお言葉が載っている書籍の存在、ならびにそこには顕正会教学部がいうような「本門寺の戒壇」との表記があることを知りました。
今回はそれを含めた上で、この件に関して書いてみたいと思います。
大日蓮
以下は大日蓮昭和49年11月号です
「あの正本堂が、事の戒壇、本門事の戒壇と称して何の不思議があるのでありましょうか。」とあります。これは先日私がご紹介した日達上人全集の表記と全く変わりません。
それではもう一つの蓮華の記載を確認してみましょう。
蓮華
以下は蓮華昭和49年9月号です。
やはりこれもまた大日蓮や日達上人全集と同様に、「あの正本堂が、事の戒壇、本門事の戒壇と称して何の不思議があるのでありましょうか。」としか表記されていません。
教学部の浅〇君や伊〇さんの言う「本門寺の戒壇」との言葉は一体どこから湧いてきたのでしょうか?
戒壇論
私は本日まで上記の2冊にしかこの時のお言葉が掲載されていないと思い込んでおりました。ゆえに一旦それを元に記事を書き上げたのですが、それを読まれた法華講員でありTwitterの友人でもある「立正安国さん」からもう一か所掲載されている書籍を教えて頂きました。
そして、そこにはなんと顕正会教学部の彼らが言っているとおりの「本門寺の戒壇」との表記がありました。
おそらく彼らはこの書籍のコピーをもって常泉寺に乗り込んだのでありましょう。しかしながら上記でもご紹介したように当時発刊された大日蓮と蓮華には「本門事の戒壇」と表記されているわけであり、前回私が述べたように「不十分な調査しかしないでここまで大口を叩く顕正会教学部は底が浅い。」と反撃されても文句はいえないでしょう。
それではどちらが正しいのか?
これら4書の時系列を考えれば自ずと答えは出てきます。このお言葉が述べられたのは昭和49年8月25日、真っ先に活字になったのが蓮華で昭和49年9月12日、次いで大日蓮の昭和49年11月1日、そしてこの問題の戒壇論が昭和49年12月25日、日達上人全集はそこからずっと時間を経た昭和55年でございます。この中で「本門寺の戒壇」と表記されたのは「戒壇論」のみであり、それ以外の3冊は「本門事の戒壇」との表記です。
つまり最初の2冊「大日蓮」と「蓮華」は御講演そのままの「本門事の戒壇」と表記したが、「戒壇論」では誤って「本門寺の戒壇」と誤植をしてしまった。後日日達上人全集を発刊する際に再度チェックして「本門事の戒壇」の正式な表記に戻したというのが一番辻褄が合います。おそらくこれが真実でありましょう。事実、この「戒壇論」に掲載されている「国立戒壇論の誤りについて」はそれ以前に出されたものと比較すると数か所の誤植が存在します。
いずれにしても4冊の本にそれぞれ同じ講演が掲載されており、そのうちの3冊までは「本門事の戒壇」と表記されているにもかかわらず、たまたま1冊だけが「本門寺の戒壇」と表記されたいたからといって、それを利用して日達上人が昭和49年時点で正本堂を御遺命の戒壇と発言していたと言い切ってしまうのは、正々堂々をうたい文句にしている顕正会にはあってはならない姿勢なのではないでしょうか。
また、このような書籍によって表記が違っている部分を突然突き付けられたとしたならば、どんなに勉強熱心な方であっても一瞬たじろぐことでしょう。しかも突然の訪問で手元に資料などあるはずもなく、逐一原文の確認をすることを許されない状況下にあればなおさらです。
3冊には「本門事の戒壇」と表記されていることを彼らが知らなかったのなら「勉強不足」であり、知っていたうえで敢えて「事」と「寺」の誤植部分を証拠として攻撃してきたならば、浅〇君と伊〇さんは世間的な物差しで見てもアウトでしょう。純粋な顕正会員の皆さんはどう感じられますか?これがあなた方が信頼を寄せて、我々法華講員の破折にピンチになると助けを求める教学部の実態なのですよ。
大人げない
更に純粋な顕正会員の皆さんに知って頂きたいのは、この常泉寺で彼らの対応に当たった御僧侶とは指導教師の免許をもった一人前の御僧侶では無く、まだ修行途中の所化さんだったとの情報を私は洩れ伝え聞きました…。
〇野君が何歳かは存じ上げませんが、新聞の写真を見れば20歳前後の息子がいてもおかしくない年頃なのではないでしょうか?
自分の息子みたいな青年を相手に、それもまだ修行途中の所化さん相手に即答出来ない問題を突き付けて返答に困る様子を見て楽しむ…。それを総幹部会で大勢の前で発表して悦に入る…。どこまでお前さんは腐っているのかと私は彼に問いたいものです。いい大人が恥ずかしくないのか!と…。
いくら立場が違って敵であろうと、そこは大人の振る舞いが必要ではないでしょうか?
ちなみに私が折伏の現場で自分の子供みたいな子達に遭遇してしまった時は、いつも以下のような気持ちで一杯なものです。
正法をたもっているという自覚があるなら本来こうなるのが普通じゃないかな…。そりゃあ僕みたいに「お金のことは心配しなくて良いぞ。ケーキでもパフェでも好きな物を頼みなさい。おじさんが払うから♪」って言っちゃうのは言い過ぎやはみだしかもしれんけど、未来を背負う青年相手にはこのくらいの余裕が年長者には欲しいものですよね。
ってなわけで今回の教学部の登壇に関してはここで一旦終了しておきます。次回はこれまで書いてきた五大秘法論の瑕疵の問題にこの件を絡めて顕正会の初心者の方にも理解できるように戒壇の立て分けを書いていきますね。